自分事として捉え、思考し続ける子どもを育む指導 ―題材「空きようきの へんしん」けいこ(造形)三年―

工作「空きようきの へんしん」(3年)

一、授業時間外でも豊かに思考する子どもを育むために
 授業中、真剣に自分の考えと向き合う子どもの姿は非常に素晴らしいものであり、どの学習においてもそうなるよう支えたいものである。それに留まらず、授業中、学友の考えに対しても真剣に思考したり、授業と授業の間も思考し続けたりする姿はさらに素晴らしいものだと捉える。
 これらは、自然に学び合えるように材料を配置したり、子どもの発言を中心に導入を構成したりする授業だけで生まれてくる姿なのだろうか。もしそうでなければ、一体どのように支えることが、このような子どもの姿につながるのだろうか。本稿では、工作「空きようきのへんしん」を通して、自分事として捉え、思考し続ける子どもを育むために、授業時間外に行われる指導について論を進めることにする。

二、「空きようきの へんしん」の概要と手立て
 本題材は生活の中で使う小物入れを、空き容器と紙粘土を主材料にしてつくる造形学習の題材である。一人ひとりが「何をどのくらいの量入れたいのか」「家のどの場所に置きたいのか」「どのようなデザインにしたいのか」を考えながらイメージを膨らませ、自分なりの表し方で工夫して表現していく。
 一人ひとりが本題材を自分事と捉え、真剣に思考しながら表現に向き合えるよう、次のような手立てを講じた。

①子ども一人ひとりの「表現に迷ったときの発想や構想の手がかり」を増やすため、朝の会で他者の悩みと向き合い、学級全体で解決する場を設定する。
②子ども一人ひとりの表したいことや表し方に対する考えが深まるよう、児童の日記に思考を広げたり深めたりするようコメントを加える。

三、朝の会で「相談する場」を設定する効果
 本学級は、朝の会で毎日一人ずつ発表を行っている。内容は、「ゴム動力の船が速く遠くまで進むためのプロペラの形やゴムの巻き数の実験について」や「生活の中から一万という数を見つけたことについて」、「音が糸を振動させて伝わるしくみについて」、「日本の城を魅力的に絵にかくときのポイント」など、今自分が興味をもっていることや、今学習している内容についてなど多岐にわたる。何かの学習や生活の部面に固定するわけではないため、授業で扱っていない内容になることも頻繁にみられる。
 朝の会で、漢字や計算の反復学習を行ったり、モジュールで英語学習を行ったりする小学校も多いが、朝の会で自分が興味をもって考えていることや今日の授業についての考えを発表し、学友の発表を「自分事」として捉え、自己の成長のために聞き、考え、発言し、学びを紡いでいくことで、学級全体の深い学びが形成されていくと捉える。

【朝の会を通して深まるA女とB女の思考】
 A女は、自分の部屋の勉強机の上に鉛筆や定規、消しゴムを置くためのトレーをつくろうと考えた。これまで彼女は、筆箱を机の端に置いて勉強をしていたのだが、鉛筆を取ろうとしても届きにくいことに困っていた。そこで導入の後、鉛筆や消しゴムを素早く取れるものをつくりたいと考えた。しかし、鉛筆といってもまだ一度しか削っていない鉛筆もあれば、何度も削り、短くなっている鉛筆もある。だから、ペン立ての形に表すと短い鉛筆が取りにくかったり、長い鉛筆がペン立てからはみ出しすぎて倒れてしまったりするため、これまでと取りにくさは変わらないとイメージした。そこでA女はトレーの形にして、鉛筆などを寝かして置くことで、どのような長さの鉛筆でも素早く取れるように考えた。
 A女の机の周りには、水族館で買ったクラゲのアクアリウムや、クラゲの玩具が置かれており、その部屋のイメージを崩すことなく、A女の大好きな海をコンセプトにしたデザインにしたいと考えたため、本物のサンゴやタカラガイを使おうとイメージを膨らませていった。
 第一時が二日後に迫った朝の会で、A女はトレーの仕切り板として貼るサンゴの色について、学友に相談を投げかけた。海をイメージした青色のトレーに明るい色に着彩したサンゴをつけたいがどの色が合うか迷っていた。すると板書写真のように、色について様々な考えが出されていった。他者の表現は自分の表現とは異なるものであるから「何色にしても自分には関係がない」「本人が考えたら解決する問題である」と捉えてしまうこともできる。
 しかし、子どもは学友の悩みに真剣に向き合い、自分なりの考えを述べていた。そうすることが、今回の題材のみならず、自分が表現に迷ったときの発想や構想の手がかりに変わることをよく理解できているようだ。人間は物事を一心不乱に考えようとすればするほど、視野が狭くなる傾向があると捉える。しかしそれは決して悪いことでもないと捉える。一つの方向に向かって思考を進めるにあたり、自己の中で整合性を図りながら深めていくものと考えるからである。自分の考えの方向性が正しいと信じない限り、考えが太くなりようがないと考える。
 
 しかし、そこに他者が介在すればどうなるだろう。しかも共学者として互いに高め合い、考えを太くし合える「土壌」があったらどうなるだろう。間違いなく視野が広がり、考えが太くなっていくだろう。一心不乱に物事に打ち込む共学者が増えれば増えるほど、思考の幅が広がる。さらにそれを相互に伝え合うことで、刺激が生まれ、自己の考えが再構成されていく。再構成される機会が増えることは、子どもに「学ぶことの喜び」を味わわせるだけでなく、自分が学級の学びに寄与しているという「自己肯定感」「所属意識」も与えると考える。

 B女は、朝の会のA女の相談の後、イメージを修正することにした。その日の日記にこう綴っている。
「友だちからイメージをもらった!」六月二十二日
 わたしは、朝の会でA女が発表してくれるまで、「小物入れにはえんびつを立てて入れるしかない」と思っていました。立てる場合はえんぴつ立てに仕切りを付け、えんぴつや消しゴムを分けて入れられるけれど、ねかす形にすると仕切りが付けられず、分けられないと思っていたからです。発表を聞いて、「えんぴつは、横にねかして置いても仕切りをつけて分けられるな」と思い直しました。今日のぞうけいの時間では、A女から「ねんどを細長くして、L字にしてつけると、消しゴム入れにできるよ」とアドバイスをもらいました。なので、消しゴムを入れるところにしきりをつけました。その上にボンドでリボンをはって、空らしくしました。しきりをつけたことで、短いえんぴつと長いえんぴつも分けられるようになりました。次回は、ようきの横を紙ねん土でかこんでいきたいです。
 B女は、A女の相談について真剣に考えたことで、自分の表現に対するイメージも広がったようである。他の子どもたちの日記にも、A女の相談の後でイメージが広がったり深まったりした様子が見られた。

 A女はその日の日記で次のように述べ、表現につなげた。
 C女の考えを聞いて、緑色をグラデーションのように表すと「海の青色」に合うと思ったけど、緑色と青色はにている色だから、仕切りにつけると目立たず、自分のコンセプトとずれてしまうと思いました。D女たちは「赤」が合うと言ってくれましたが、海のおだやかではなやかな感じよりは、はげしいほのおのイメージがして、これまたコンセプトとずれてしまうと思いました。
 E男の考えは、なるほどと思いました。これまで「赤ワインのような暗めの赤」なら合うかなと考えていましたが、オレンジ色なら、海にうつる夕日のようなおだやかな感じも、はなやかで元気な感じも出せるからです。その後、彼女は「海」をテーマにした鉛筆入れにするため、セルリアンブルーと青の絵の具を紙粘土に付けて軽く練り、波を表すためにあえて凸凹にしてトレーに貼り付けていった。着彩したサンゴを仕切り板にして、海と浜辺に分け、浜辺の砂の感じを出すために爪楊枝で浜辺の色に混ぜた紙粘土に小さな穴を空け、ヘラで足跡をつけて完成させていった。

四、日記のコメントによる思考の広がりや深まりの効果
 本校の子どもたちは、毎日日記に思いや考えを表出しながら思考力を育んでいる。そこに教師がコメントを加えることで、子どもたちはさらに思考を継続させ、考えを深めたり、新たな視点で考えたりするようになる。本題材においても、思考を広げたり深めたりする様子が見られた。

【F男の思考の広がりや深まり】
「たおれないようにつける柱とストッパー」六月二十二日
 牛にゅうパックを下から見ると、正方形です。それを三角になるようにたてに切り、それらを重ねて教科書立てをつくることにしました。ストッパーもつけ、そこに置くカワセミもつくりました。(中略)本当に家で使えそうかじっさいに教科書を立てかけてみました。大はずれ。できません。教科書立てごとたおれていまいます。そこ、横の部分を切りぬくことにしました。そうしたら、どんな教科書でも立てかけられると考えたからです。しかし、それでもたおれてしまいました。そこまででぞうけいの時間が終わってしまったので、家でも考えました。
 すると、ひらめいたのです。教科書立ての下に、三本の柱を置くのです。前に二本、後ろに一本の柱をつけ、さらに後ろにたおれないように、後ろの柱を太くしたらうまくいくと思いました。
【教師のコメント】
 教科書はたて長で重いから、教科書立て自体の重さがかなりじゅうようだと思います。三本の柱をつけるのはすごくいいアイデアだね。どうするのがいいか、くりかえしためしてみるといいね。

「柱の材料と中身をどうするか」六月二十三日
 今日も教科書立てについて考えました。まず、どの材料で柱をつくるのがよいか考えました。はじめに考えたのが「ヨーグルトの小さいペットボトルに砂利を入れる方法」です。ですが、入れ物は細いので砂利を入れて重さをふやしても上手にささえられないと思いました。次に太い紙コップはどうかと考えました。中に重しをつけるとたおれないと思います。重しは、砂利か石が使えると思います。水だとくさるし、土だとカビが生えるかもしれないからです。とう明のカップであれば、中が見えてカワセミの水辺の感じが出るのですが、あまりささえられません。そう考えているとひらめきました。「柱に皿をつけて、消しゴムやえんぴつをおけばうまくいく!」すぐとり出せるしバランスもよくなるし、一石二鳥です。
【教師のコメント】
 教科書立ての下に柱をつけずに、広い板をつけるのもたおれにくくなる方法だと思います。それから、せもたれの強さもじゅうようだと思います。重さにたえきれずぐにゃりとしない方ほうを考えないといけませんね。

「柱をなぜつけるのか・どうしたら教科書を立てられるか」六月二十四日
 母に「どうして柱にしようと思ったの」と聞かれたので「家は柱があるから、重いものをのせてもたおれないから、そこから考えたんだよ。」と答えました。(中略)でも砂利を入れたペットボトル二本と、砂利を入れた紙コップもよいと思い、まよっています。なぜ、安定感がない小さなペットボトルにこだわるのかというと、とう明で中の砂利が見え、カワセミの川辺に見えるからです。
そう考えていくうちに、今日もひらめきました。「プラコップを使ったらすべてかいけつするじゃないか。」今日の日記に先生がコメントしてくださったアイデアも、よいと思ったのですが、教科書立てをおく場所のおくゆきは九cmしかなく、じつげんできそうにありません。
 次に、地図ちょうの重さをはかりました。341gありました。とう明のペットボトルに砂利を入れると、170gだったので、二本分です。だから、三本あればたおれないと思います。プラコップならもっと砂利が入るから、二本でもうまくいくかもしれません。
 F男は、この後も毎日、造形表現についての日記を書き続けた。教師のコメントが、思考し続ける子どもの支えや励ましになったり、新たな視点を得る手がかりになったり、考えの深まりにつながったりしている効果が現れている。

五、おわりに
 子どもは、授業中にだけその授業内容を考えているわけではない。朝の会のプログラムを少し変えたり、子どもの学びを意識して日記やノートにコメントしたりするだけで学び方や質が大きく変わる。授業は、学習者である子どもと指導者である教師との間に生まれる。子どもに任せきりでも、レールを敷きすぎでもなく、子どもの学びに寄り添いながらタイミングを逃さず支援したい。

授業の詳細や画像については、奈良女子大学附属小学校「学習研究」をご覧ください。