第4回「ツール選択の自由と1人1台端末」

WeCREATE(C領域)GIGAスクール構想領域・連載
中川⼀史 放送⼤学教授・博⼠(情報学)

またまた第3回から間があきましたね。本当にすみません。この連載が続く限り、ずっとあやまり続けているような気がします。今から言っておきます。すみません。すみません!

中央教育審議会が2021年に公開した「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して〜全ての子供たちの可能性を引き出す個別最適な学びと協働的な学びの実現〜(答申)」によりますと、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の実現のためのICTについての活用例が示されています。「子供がICTを日常的に活用することにより、自ら見通しを立てたり、学習の状況を把握し、新たな学習方法を見いだしたり、自ら学び直しや発展的な学習を行いやすくなったりする等の効果が生まれることが期待される。」としているのです。

しかしこのように自身の思考や表現のツールとしていくには、まず、ツール選択の自由が保証されていることが重要になります。

ある中学校の理科の授業参観に行った時のことです。その日の課題は「金星の満ち欠けの現象を隣のグループの友達にわかりやすく説明しよう」でした。説明場面を見てみると、端末を使って説明するグループ、教科書の図を使って説明するグループ、模型を使って説明するグループなど様々でした。模型のグループに「なぜこれを使って説明したの?」と聞くと、意外な顔をして「え??だって一番わかりやすいと思ったから。。」と言われてしまいました。わかりきったことをなぜ聞くのか?と、私に言いたかったんでしょうね。つまり、各グループの生徒は、自分達の説明が一番伝わりやすいものを選んで使っただけなのです。それがたまたま各グループの選んだものがバラバラになってしまったということ。これはある意味、理想的な姿の1つだと思いました。こうやって児童生徒がその時の最適なものを自ら選択・判断する。しかし、その背景には、端末を使い倒していた子どもたちだったということも忘れてはなりません。目新しさが取れない学校(学級)で同じことをすると、きっとみんな端末を使いたがるでしょう。それが最適なものかどうかは、あやしいと思います。

今、多くの学校で「はい端末を出して」「しまって〜」と、一斉の指示を教師が出します。でも卒業までそうなのでしょうか。いつになったら、大人のように研修会などで講師の話を聞きながら、人によっては端末で入力、人によってはボールペンで紙に書く、しかもどこで何を書くかは自由、というスタイルが許されるのでしょうか。

先の答申では、「個別最適な学び」は、「指導の個別化」と「学習の個性化」の2つであるとしていますが、その中でも、「学習の個性化」については、「基礎的・基本的な知識・技能等や、言語能力、情報活用能力、問題発見・解決能力等の学習の基盤となる資質・能力等を土台として、幼児期からの様々な場を通じての体験活動から得た子供の興味・関心・キャリア形成の方向性等に応じ、探究において課題の設定、情報の収集、整理・分析、まとめ・表現を行う等、教師が子供一人一人に応じた学習活動や学習課題に取り組む機会を提供することで、子供自身が学習が最適となるよう調整する」(※下線筆者)と示されています。これは先ほどのツール選択の自由にも通ずることですね。

はじめは「あなたには、これがいいんじゃないかな」と「教師が判断する」(図1の①)ことが多いでしょうが、しばらくすると子どもの方から「こっちがいい」と言ってくるようになるので、教師は子どもの考えを聞きながら「子どもと判断する」(図1の②)ようになります。最終的には最適な方法を「子どもが判断する」(図1の③)に至るわけですが、子どもが自分で選ぶとなると、実は最適な判断ではないと教師からは見えることもしばしばあります。そんな時は教師に相談する段階に戻りますが、この時はすでに子どもは慣れてきているので、「先生はそう言うけど、僕は〜〜という理由でやっぱりこっちにするよ」という子もいると思います(図1の④)。この段階を経て、最終的には子ども自身で自分に最適なツールを選ぶ力を身につけていってほしい(図1の⑤)と思います。③と⑤は、明らかに質が違うのです。そして、このことはツールの選択に限らず、学習内容や他の方法にも及びます。

子ども個々の「個別最適な学び」について、端末を切り口に再考してはいかがでしょうか。



参考文献

・中央教育審議会(2021)「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して〜全ての子供たちの可能性を引き出す個別最適な学びと協働的な学びの実現〜(答申)

https://www.mext.go.jp/content/20210126-mxt_syoto02-000012321_2-4.pdf

(2021.09.25取得)